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ワスカラン (船舶)
ワスカラン(Huascaran)はドイツの貨客船である。第2次世界大戦中から戦後にかけて何度も改装され、6か国の間で工作艦、貨客船、移民船、客船、留学船、クルーズ客船として波乱の船歴を辿った。 == 船歴 ==
=== ハパグ社の貨客船「ワスカラン」 === 1937年、ブローム・ウント・フォス社はハンブルク=アメリカ郵船株式会社(、Hapag)からディーゼル・エレクトリック推進の貨客船2隻を受注した。「ワスカラン」とその姉妹船、「オソルノ」である。それらは南米西岸航路に就役する予定であった。船名の元になったのはペルーのワスカラン山とチリのオソルノ山〔「オソルノ」は封鎖突破船として1943年12月に日本からボルドーに到達し、そこで廃船と衝突して積み荷を守るために座礁した。〕である。「ワスカラン」は1938年12月、ハンブルクの518番ドックから進水し、1939年4月27日に就役した。同船は全長149.32メートル、全幅18.2メートル、喫水6.7メートルで、総トン数は6,951トンであった。機関はMAN社製船舶ディーゼル機関3基(8気筒2基、6気筒1基)合わせて6,350馬力であり、1軸推進で速力16ノットを発揮した。また1等船客専用の各船室の内装はかなり豪華で、39名を収容できた。 その処女航海は1939年4月29日のことであり、目的地はジェノヴァであった。5月、ハンブルクへ戻る途中で対外的にはコンドル軍団の「査閲」のためスペインを訪れていた、ヘルマン・ゲーリングを著名な旅客として船上に迎えている〔1939年5月10日、ゲーリングは妻のエミーに「ワスカラン」から電文 を送っている。〕。1939年6月1日からはハンブルクと南米の太平洋沿岸を結ぶ定期航路に就役していたが、第2次世界大戦が勃発するまでに往復できたのは一度だけであった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ワスカラン (船舶)」の詳細全文を読む
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